急激な減薬によるうつ病の恐ろしさ・その2

日記
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今度の先生は、手が空震えて困ると話したらすぐに別の薬に替えてくれました。おかげさまで1週間ほどで震えなくなりました。これで仕事がだいぶやり易くなりました。

21年ぶりに希望の光が見えたような気分です。

社会保険労務士の話も快く聞いて頂いて、診断書も書いてもらえることになりました。それとは別にもう1通診断書がいるというのは、初診日の証明になる一番最初にかかったお医者さんの診断書が必要だそうです。

私は、メンタルクリニックは8年前に新宿にあるクリニックにかかっただけなので、何年も遡ることは出来ませんと社会保険労務士に話すと、内科でも診断書を書くことができれば遡って障害年金を受給できるという話でした。(最大20年間)

そこで私が内科に13年間通院したと話したところ一緒に行って先生に診断書をお願いしてくださるとのことでした。(出張費20,000円)

医院の前で待ち合わせて、順番を待ち私の順番になって名前を呼ばれたら社会保険労務士が代わりに診察室に入って先生に説明をして診断書をお願いしてくれました。あとは出来上がったら受け取りに行けばよいです。

もう一つ大事な書類が上申書です。これも上手く書かなくてはいけません。これも社会保険労務士が代筆してくれるそうです。

紹介してくれたメンタルクリニックへの同行と今回の同行で合計40,000円支払いましたが、報酬は受給出来た年金の2割なので600,000円くらいの料金になりますが、自分でやったのでは失敗すると1円も受給することは出来ませんので仕方のないことだと思いました。

専門家に任せたので、首尾よく5年間遡って障害年金を受給することができました。

治療の方はと言えば、少し具合が悪くても先生に相談すると別の薬を処方してくれたのでさほど具合は悪くなりませんでした。

そんなこんなで2年ほど過ぎた頃、私は最初に倒れた時に頭の血管が切れやしないかと心配したことを先生に伝えて頭部のMRIを受けることにしました。先生の紹介もあり保険で受けられることになりました。クリニックから20分くらいの所で近くて助かりました。検査の結果動脈瘤等はなく正常でしたので安心できました。

その後も具合が悪いと適宜薬を増やしてくれて特に気にはしていませんでしたが、1日17錠となった時に少し心配になりセカンドオピニオンとして脳神経内科で検査をしてもらいたいとお願いしましたら快く紹介状をかいていただけました。

さて、紹介してもらった脳神経内科の病院に行って先生に話しましたら、先ず最初に検査をしましょうということになって、MRI・CTスキャン・最新の機械で検査をしました。初日は検査だけで終わってしまいました。

次回は2週間後で、その時検査結果とこれからの治療方針を教えてくださるそうです。

待っていると長く感じるものでやっと2週間が経ちました。心配なのは検査結果です。先生がおっしゃった言葉に耳を疑いました。なんと脳には何の異常も無いということでした。

いつまでも快方に向かわないのは薬の飲み過ぎだということでした。メンタルクリニックの方へ薬を減らすように言って下さるとのことでした。

池袋のメンタルクリニックに行くと、先生は紹介した時には小さな脳梗塞が見つかる程度だと思っていたがまさかこのような結果になるとは思わなかったとおっしゃって、デパス(エチゾラム)を止めますと毎日最大量の6錠服用していたのですが一度に6錠止めることになりました。少し離脱症状が心配でしたが先生がおっしゃるのだから大丈夫だろうと思い気にしないことにしました。

翌週も2錠減薬されました。そしてまた翌週も4錠減薬でした。まだ特に変わったことは起きなかったのでそのまま従いました。

それからしばらくして変調が起きました。クリニックの帰りに銀行のATMの近くで突然意識を失い膝から落ちてぱっくりと皮膚が割れてしまい血だらけになってしまいました。それでもなお急激な気圧の変化で気を失ったのだと思い自宅に帰りました。

その頃から、怖い夢をみたり幻覚をみるようになりました。

特にひどかったのは障害年金を多額に貰えるように信じ込んでしまったり、懸賞に当たった電話がかかってくる夢をよく見るようになってしまいました。もっともその頃にはもう何が現実か幻覚かの区別がつかなくなっていました。

怖い夢というのは、自宅に暴力団が50人以上入ってきて、そのうちの一人が今晩お前を包丁で刺し殺すからなと言ってきて、他の暴力団員もお前を一番に殺してやると言うのです。

そして内側から鍵をかけていたので入るのには鍵開け専門の仲間をこれから呼ぶから廊下に立って待っていろと言われその通りにしました。今考えてみれば中に仲間がいるのですからいつでも鍵は開けられるのにそういうところは夢であるため曖昧でも信じていました。

実際に廊下で3時間ほど立って待っていたようです。しかし、それだけ待っていても一向に仲間は来ません。外に立っている仲間はずっと見張っているようでした。しかし、一向に仲間が来ないことに腹を立てているようでした。私ももう疲れてしまってどうでもよくなって私が鍵を開けるので入ってくださいと言うと、そんなことをしたらすぐに殺されてしまうよと言われましたがもう構わないから開けますよと言ってドアを開けました。

するともう日が昇っていて、外には誰もいませんでした。少し離れている所で見張っているのかと外に出てあたりを見渡しましたが何処にも誰もいませんでした。家の中を見ると以前と同じ部屋がありました。それでやっと幻覚だったということがわかりました。しかし、3時間廊下に立っていたのは事実です。

今度は懸賞の電話ですが、あるコンピュータメーカーが、セキュリティをハッキングしたら1億円くれるというものでした。世界中の人が候補になっているのに私の所へ合計4回も電話が掛かってきました。そのいずれもが私がハッキングに成功し賞金が貰えるようになりました。もっとも実際に貰えるのは6か月後だというのです。

もうこの時点で離脱症状の一つである幻覚が出ているのは確かでしたが、ほんの数時間でしかも毎日ではないので自覚することはできませんでした。

こんな風に少しずつ蝕まれて行って最後の方にはショッピングモールの前で夜明かししようとして警察署に一晩泊められたり、友人や知人に大金が入ると言ったり正気ではなくなりました。

そのうちに、言うことがまともでなくなりホームヘルパーさんの前で失禁し紙おむつをされて訪問看護師にはもう一人で暮らすのは無理だと判断されて入院を勧められました。ケアマネージャーと訪問看護師のおかげで私の知らないうちにメンタルクリニックから別の訪問医療の先生のところに転院してもらったそうで、私が怖い怖いと言うようになり最後には入院したいと言ったところで精神科へ入院させてもらいました。

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